9月11日(土) 「私」
抜うつつ


「フレンチトーストとアイスコーヒー」
「申し訳ございません。当店ではアイスコーヒーは扱っておりませんが」
「え、ここに『(ホットorアイス)』って書いてあるじゃないですか?」
「いえ、『(ホットorアイスベキ)』でございますが」

確かにそう書いてある。ホットの対義語はアイスだという固定観念が、誤読を招いたようだ。
「アイスベキコーヒーって、どんなコーヒーなんですか?」
「コーヒーを愛すべき感じにしたと思っていただけるとおわかりいただけると思いますが」
見事にわかりづらいが、試すのも悪くない。
「…じゃあ、アイスベキコーヒーを1つ」
「かしこまりました。フレンチトーストとアイスベキコーヒーですね。お会計、680円になります。お掛けになってお待ち下さい」



ちょっと苦味が強い気もするが、「普通」の範疇を逸脱はしていまい。まあ、こんなことは社会においてありふれている。『特製○○』といっても特別な味がするわけでもないし、そもそも頭の中で描いた味から掛け離れたものが出てきたら、逆に「特製すぎ!」と怒り心頭し、頭の中でちゃぶ台をひっくり返すといった結末が待っているだけだ。結局、「特製」に味を期待しているわけではないのである。ただ「特製」の持つ極めて抽象的な、ポジティヴな印象が購買意欲を駆り立てるのだ。『シェフの気まぐれ風○○』といったところで同じことで、実際気まぐれで作られたらたまったものではなく、ただその枕詞の醸し出す雰囲気に飲まれて注文するだけのことなのである。



別にこのコーヒーが愛すべきものである必要はないのであるが、一応どこらへんを愛すべきなのか、店員に尋ねてみることにした。マクドナルドでスマイルを2千万10個注文するのと同様、客と店員という無機的な関係に生命を吹き込もうとしたのである。が、この短絡的な目論見は、店員の一言とともに、石神井方面へ消えて行った。

「愛せないんですか…?」

ゴルゴタの丘うさぎとび5往復を命じられた時のキリストのような悲哀を満面に描きつつ、彼女は言った。

「お客様は、この、アイスベキコーヒーと名付けられた、愛すべきコーヒーを、愛せない、もしくは、愛すべきではないと、そう、お考えなのですか?」

一語一句確かめながら、彼女は語気を強めた。と、私の隣で英字新聞を読みながらタバコをくゆらせていた老紳士が、私を一瞥すると、諭すようにささやいた。

「パピコ食べたい」
…どうやら単に欲求を発声しただけのようだ。

とにかく、この状況を打開すべく、私は妥協を試みることにした。
「そう言われて見れば、確かに愛すべき感じがするような気がしてきたよ。うん、まだ一回しか飲んでないからよくわからないけど、異性を愛するときと同じで、何回も飲むうちに愛することができるようになるのかもしれないね」

「そうですか」
是とも非ともつかない言葉を残して、彼女はレジの方へ戻っていってしまった。

私は道化。道化は私。どうやら私は道化と必要十分の関係で結ばれてしまったようだ。こんな虚しさを味わうのも、時にはいいだろう。灰色の満足感を味わいながら、私は席を立った。隣の老紳士は、新たな欲求で心を満たしているのだろう、誰ともなしにささやいていた。

「ミルミル飲みたい」


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「ウィッキーさんに捕まってた」って、もう通用しないよ