イスラエル道中記

08/03/99
今は成田のレストランの中。目の前で彼女が俺に手紙を書いている。隠しながら書いているので内容は見えない。

このレストラン、一見高級そうなのだが、どうやら見掛け倒しのようだ。食器は機内食用のと全く同じで、給食用のようなプラスチックの皿に、透明の四角いプラスチックケースに入った四角いケーキ。どこぞの定食屋で出てくるプラスチックのコップに入った食後のアイスティ。ボーイは九十九里のヤンキーのような攻撃的な髪型。ああ、カツカレーセット1000円の段階で気付くべきだったか。

荷物も預けて、あと2時間もすれば空の上なのに、実感は皆無だ。一体誰が飛び立つのか、なぜ空港にいるのか、理屈でしか納得できない自分というものが、不思議でしょうがない。

今はまだレストランの中。目の前で彼女が俺に手紙を書いている。隠しながら書いているので内容は見えないが、その仕草から彼女の愛情を感じる。わざわざ来てくれてありがとう。見送りというのは、送るまでは自分も旅立つという錯覚に陥りがちで気分も高揚するものだが、その反動で見送った後の孤独感も大きいもの。どうか彼女に孤独が襲わないように…。



地を離れて3時間が経った。恐ろしいことに、残りまだ11時間。隣に陣取ったのは最もガッカリの文化系日本人大学生(もちろん男)2人組。俺の隣の1号は静かだが、その隣にいる文化人2号はやかましいこと林の如し。いい加減うんざりした1号がストップをかけるまで、口を動かしつづけていた。

2号はどうやら難しい言葉を使うのが好きなようだ。日常会話で「お前、さもしいなぁ」と言う奴は初めてだ。確かにちょっと堅い言葉を使うことで優越感を得ることはできるだろう。ただ、「飛行機って機体を浮かすのに大量の燃料使うだろ。するとその大量の燃料を浮かすのに多くの燃料を積むだろ。これでどんどん燃料が増えていく。なんか輪廻転生だね。」という発言はどうだろう。内容もさることながら、最後の「輪廻転生」って…。これを素じゃなくボケで言ってくれれば、おじさん嬉しかったのになぁ。



今は日本時間で1時半。電気が消えた。おおー、突然前のフラ人レディがイスを倒してきた。しかもジャブのない、いきなりの本気倒しだ。日本人のようなヒット&アウェイはない。それを見た隣とそのまた隣のフラ人ジェントルマンも一気に攻めこんで来た。ナポレオン軍、完勝。文化人ペアと俺の3人は、後ろに陣取ったラジカセ担ぎそうな人達に攻めこむ勇気もなく、さりげないジャブだけかまして、コジンマリと眠りにつくことになった。ああ、日本人。



日本時間3時。もう起きてる人はほとんどいない。俺はこんな時間に寝る習慣がないため、一人残される。ニコチンの禁断症状が…。何と理不尽な全席禁煙。いずれにせよ禁煙席に座るつもりではいたが、吸える場所が全くないのは、パパからもらったクラリネットのドとレとミとファとソとラとシの音が出ないくらい、つらい。

今、ロシア上空。



09/03/99
やっとパリ到着。結局ほとんど眠れず、バテバテ。これから6時間空港で待たされて、その後3時間も経済級座席に鎮座させられるかと思うと、引退したくなってくる。ニコチンを摂取できたのが唯一の救いか。

そうこうしている間に、40分経過。いまだ荷物が出てこない。もう荷物を待っている人は20人ほどしかいない。恐らく500人は乗っていたであろうから、俺は25人1人の運の悪さを誇れることが判明。と書いている間に、残り10人ほどに…。50人に1人か…。まさかつまれてないなんてこと、ないよなぁ。おおっと、残り6人。100人に1人の逸材に昇格。ちょっと不安になってきた。残り2人になった時に気付いた。俺の荷物はもう次の便に送られてるんだった。



ちょっと話が戻るが、飛行機が着陸し、陸上移動している時、窓の外に広がる草むらに、ちょこまかと動く生物発見。目を凝らして見ると、ウサギだ。しかもすごい数だ。映画「パリ空港の人々」で空港に住みつく人々がウサギを捕まえて空港内のレストランに売りさばいていたが、なるほど、これのことか。



空港内をぶらつくが、大して時間つぶしにならない。まだ6時。出発まであと4時間。ああ、眠りたい。



ただ今イタリア上空。どうやら2時間ほど眠っていたようだ。運良く隣には誰もいないので、ゆったりできたおかげだろう。パリ行きの飛行機には大群でいた日本人も、この便では1人も見当たらない。もともとそれを望んでいたのだが、心細さは否めない。

今、ブーツのかかと上空。地中海を飛び越えれば、もう、約束の地だ。

左手に白い山々が見える。まるで巨大な波のように列をなして迫ってくる。奥の奥の最も高い波が、チョモランマだろうか。あとで調べて見よう。



なんとかテルアビブの宿を確保。ダブルルームで100シェケル(3000円)。入ってみると、部屋は3畳ほどで、Wベッド1つにミラーが1つ、のみ。白い壁が剥がれ落ちて枕元は真っ白。ベッドメイクの際に気付かないことが不思議でしょうがない。それともベッドメイク後に降り積もったものだろうか。だとしたら、今宵も雪か…。

宿を見つけて一安心しながら、22時にやってくる友達(急遽来ると言い出した)を迎えに空港へUターン。道すがら、ほぼ本場のケバブを買う。かなりうまい。値段は日本より少し高い16シェケル(350円)。でもドネルおやじもいい人なので、10点9点9点10点10点、48点!

イスラエルに着いて4時間半。目に付くのが、軍人(男女問わず)の多さと、アキラー(黒澤明っぽい人)の多さ。驚くことに、日本人どころか東洋人を一人も見かけない。チャイニーズすら見かけないのは、驚異だ。



10/03/99
今日はテルアビブから聖地エルサレムへ。移動時間やら、ホテル探しやら、明日のツアー予約やらでかなりの時間を費やしてしまい、結局ほとんど観光できず。俺はここに居座る予定だからいいが、南端で3泊する友達にとってはちょっと可哀想だった。

エルサレムは新市街と旧市街に分かれる。高い壁に囲まれた旧市街は、まさに宗教のルツボ。この1平方kmの中に、いくつものモスク(イスラム建築)、いくつものシナゴーグ(ユダヤ建築)、いくつもの教会が立ち並ぶ。道は幅2メートルほどと狭く、迷路の様に入り組む。ほとんどの道はアーケードとなっており、それが閉塞感を駆り立てる。

今日は一箇所しか回っていない。しかし、最も行きたかった場所の一つ、嘆きの壁だ。世界各国から集まった黒装束(黒いハットに黒いスーツ、インタビューウィズバンパイアの衣装を思い出していただくと、参考になるでしょう)のユダヤ人が、旧約聖書片手に壁と対面している。時に前後に揺れるようにおじぎを繰り返し、時に聖書の一説を唱和する。この壁は、旧約聖書の時代に建てられたユダヤの神殿の、唯一の現存。神殿跡には、皮肉にもエルサレムの象徴、イスラムの岩のドームが黄金の輝きを示している。

1900年間の離散。この気の遠くなるほど長い流浪の間、ユダヤの民がユダヤの民として生き続け、強い絆を保っていたのは、ユダヤ教、神に選ばれた民としての誇りがあったからに他ならない。アダムとイヴ、その子孫のノア、ノアの子孫アブラハム、そしてこのアブラハムの子孫が、ユダヤの民である。選ばれすぎ!



11/03/99
今日はマサダ、死海、エリコを回った。マサダとは要塞のことで、A.D.70年、ローマ帝国によってエルサレムを追われたユダヤ人が立て篭もった場所だ。

急な上り坂を登ること30分以上、やっと山の頂きにあるマサダについた。山と言っても中腹からスパッと切ったようなところで、かなり広い。そこで見た日の出は、元旦に見た太陽とあまりにも似ているため、明日になれば忘れてしまいそうだ。

山の上では、旧約聖書を読み上げている集団や、若い軍隊の集まり、そしてビックカメラの袋に荷物を詰め込んだステキな日本人学生がいた。ここはイスラエル。



死海は塩分濃度が濃いため、ものすごく浮く。精神的にも肉体的にも、舞い上がる。泳ごうとすると逆に危ないと地球の歩き方にも書いてあったが、その通り、泳ごうとして溺れた韓国人の女の子がいた。彼女は水を飲んでしまったため、救急車で運ばれてしまった。ちょっと舐めてみたけど、舌が痛いぞコンチクショー、といった感じだった。死海だけのことはある。



エリコはパレスチナ自治区で、ユダヤ人はいない。誘惑の山の中腹には修道院が。レストランでオヤジに水タバコを試させてもらう。とにかく甘い。しかし、機材がなければ吸えないタバコをここまで普及させるとは、タバコ屋さん、がんばった。



夕方、ホテスルのテラスで旧約聖書(小説)を読んでいると、従業員のマレーシア人が話しかけてきた。エジプトに行けとしつこい。パスポートを見せてくれて、もう2度とイスラエルに来れない(たぶん不法滞在)とぼやく。その後自分の部屋からガイドブックと地図を持ってきて、入エジプト話を続けた。もういいって。



夜、エルアビブで出会った明学の2人組と再開。南米料理を食いに行く。その後、旧市街の上に登って夜景を見る。旧市街の上から旧市街の夜景が見れるわけもなく、寒さとの戦いに終始することになった。そして彼らを嘆きの壁に連れて行く。嘆きの壁は男性エリアと女性エリアに分かれているが、女性エリアが狭いことが話題に。しかし全員男だったため、大して盛り上がることもなく、「さだめだな」で収束。



12/03/99
今日は金曜日。特別な日。ユダヤは日没が一日の始まりで、金曜の日没から土曜の日没までがシャバット、安息日だ。店もバスも公共機関も全て閉まり、神に祈りを奉げる。

イスラムにとっても金曜は特別な日で、大切な場所に部外者は絶対に入れない。よって観光できない。唯一入れるのがキリスト教の建物。と思って最後の晩餐の建物に行こうとしたら、ダビデ王(ユダヤ王)の墓と同じ建物のためにクローズ。ダビデのバカ。

シオンの丘。大学の友達にシオンという名の奴がいる。シオニズムもここから。なんかいい響き。

しかたなく鶏鳴教会に赴く。シモン(ペトロ)がキリストを3度拒んだ場所。教会の中はきれい過ぎて逆に重みを感じられなかった。と思いきや地下は遺跡になっていて、重かった。



話が前後するが、午前中、食料を買出しに新市街の市場へ。ここはディールがないから楽。オレンジ3キロ、水3リットル、ピタ10枚とマーガリンで24シェケル(720円)。イスラエルにしてはまずまず安い。明日からはピタ生活だ。

両替は旧市街から離れるほど安くなる。わかりやすすぎ。市場の前で両替。



ビア・ドロローサ(キリストが十字架を背負って歩いた、ゴルゴタまでの道のり)を歩く。そして聖墳墓教会に到着。キリストが死んだ場所。今までと全く違うキリスト教(コプト教か?)に出会う。エチオピア人っぽい肌の色。全身黒服で、コーランのような祈り。キリスト教のイメージが大きく変わる。

奥の大聖堂は普通のキリスト教(つまりヨーロッパナイズされたキリスト教)。十字架に張り付けられた場所、死んだ場所、墓に入った場所。それぞれにそれを示した絵が飾られている。祈りが響く。パイプオルガンも響く。なぜか涙が止まらない。自分でもかなり怪しい。でもその涙も、神父がローソクをチャカマンで点けているのを見て、一気に乾く。がっかり。



17時。いつもとは違う特別な鐘の音が教会から鳴り響く。イスラム地区からはコーランがスピーカーから流れ出す。祈りの時間だ。ここでは宗教が生活の中心。目も、耳も、五感の全てが宗教に染まる。違和感は、ない。



夕方、アラブ人地区で肉を買う。牛肉1キロ20シェケル(600円)。安い。ただ、塩コショウがない。しかたなくその場でニンニクとレモンを買って代用。結構硬かったけど、食えないこともない。男の料理なんてそんなものだ。



昨日の話。新市街のイスラム地区でユダヤ人が犬を連れて歩いていると、ちょうど学校帰りのイスラムの女子学生は、みな恐れるような、汚らわしいようなものを見るような目をした。そして逃げる。日本人の感覚で言うと、全身うんこまみれの人が前方からダッシュでやってきた時の反応と同じだ(経験はないが)。イスラムでは犬は汚らわしいものでしかないと聞いた。白くてかわいい犬なのに。



みんな「ジャパニーズ?」と聞く。本には中国人や韓国人と間違われると書いてあったが、全然違う。見かける東洋人の半分以上が日本人になってきた。やっぱり日本人はどこにでもいる。

車の半数は日本車。なぜかいすゞ、スズキ、スバル、三菱、マツダと言った4番手以下の車が多い。日産はゼロ、トヨタもまだ1台、ホンダは数台見たが、それでも少ない。逆に外車はベンツだらけ。タクシーもバスもみんなベンツ。なんだかよくわからん。あと、韓国以外で初めて韓国車を見た。よくやった。



13/03/99
ペテロ首位権の教会は、ガリラヤ湖に面している。イエスがペテロに説教した岩がある。どうだか。パンの奇跡の教会には魚のモザイクあり。ナザレの受胎告知教会は特に何もなし。ベト・シェアンは遺跡だらけ。あまり興味ない。

今日もまた聖墳墓教会に行く。また泣く(涙ぐむというのが正解)。

今日から節約。今日はほとんど使ってないなぁ。50シェケル(1700円)ぐらいか。

今日は宿に日本人が多い。慶応2年の男の子に晩飯をおごる。なんせそいつ、かなりの貧乏旅行だから。



イエスが数々の奇跡を起こした場所、ガリラヤ湖畔。そのあとは幾つか残っている。ペテロ首位権の教会は、復活したイエスが使徒たちに再会した場所。そしてパンの奇跡の教会では、魚2匹と5つのパンを、5000人が満足するほど分け与えた場所。神は信じないけどこの奇跡は信じてしまう。変な性分だ。



夕方、イスラム地区でジャガイモとニンニクを買う。値切った。たった1シェケル(33円)でも値切るとなんか気持ちい。勝利の味だ。

ゴラン高原の自然がきれいなのは、地雷群で誰も近寄らないかららしい。地獄の美しさか。

道端で雑貨を売っているイスラム人が、俺達を見たらバービー人形を手にとって買え買え言い出した。商売センスなし。



14/03/99
今オリーブ山の中腹からエルサレムを眺めている。近くのモスクからコーランが大音響で流れている。毎日変わらないエルサレムの日没だ。今日は珍しく雲が多くて、風も強く、せっかくの日の入りが拝めない。



旧市街の住人は平気でぼったくりをする。だけどイスラム人なら1日5回の礼拝は欠かさないし、ユダヤ人ならシャバットには店を閉める。信仰と罪は別なのか。



今日はまず市場に買出し。ピタとグレープフルーツジュースとウィンナーを買う。しめて15シェケル。その後、イスラエル博物館に行く。途中で我慢しきれず野ぐそ決行。博物館は…うーん、so-so。死海文書の説明は面白かった。その後夕日を見にオリーブ山に登るが、雲が多くて見えず。その時韓国人に話し掛けられる。そしてともにビールを飲む。聞きなれたコングリッシュ(コリアン・イングリッシュ)。彼はキブツ(生活共同体)で働いていて、今日と明日がホリディだそうだ。毎日ご飯(ライス)を食べてるらしい。羨ましい。



夜、飯を作って食おうとしたとき、同じ机に座っていたオーストラリア人と話す。1時間半ぐらいか。やっぱり難しいオーストラリア英語。向こうが笑うと俺も笑うが、言ってることは半分程度しかわからず。Noをどう発音したらナイになるのか不思議でしょうがない。カナダの話、映画の話、日本の偏見、オーストラリアの偏見など。25歳。トロントで3ヶ月働いて、メキシコに飛んで、南米を下って、そこからヨーロッパを回り、ロンドンで半年働いて、レバノンを経由してここに来たらしい。ロンドンでは銀行でユーロ関係の仕事をしてたとか。なんかすごいぞ。顔はカッコイイというより、甘い。日本だったらモテモテだろう(まあ、外人ならなんでももてるが)。そんなこんなでもう11時半。明日こそ早起きするぞっと。



15/03/99
珍しく朝8:30に起き、朝食後、岩のドームへ。入り口で並んでいると、昨日のオーストラリア人(名はライアン)が追ってきた。追ってくるなんて、愛らしい。

岩のドームの中には、岩があった。なるほど、だから岩のドームなのね。マホメッドがこの岩で昇天したんだそうだ。

ドームの隣にイスラム博物館があって、入っていきなり血だらけの服。'90に殺されたイスラム人の服。

ユダヤの熱心党(原理主義?)の奴らが岩のドームに入ってきて何かしようとして、イスラム人がそれを阻止しようとした。そして軍隊が来る。軍隊はユダヤ人なので、イスラム人に発砲。17人死亡、300人が怪我をした。壮絶。これがエルサレムの本当の顔。たった9年前のことだ。



生誕協会はキリスト教徒にとってメッカのようなもの。ベツレヘム自体はアラブ人の街なのに、そこだけ欧米観光客で溢れている。

ベツレヘムはエルサレムから車で20分ぐらい。行きはバス。帰りは相乗りタクシー。値段は変わらず。



シオンの丘に上る。やっと最後の晩餐の部屋に入れた。ダ・ビンチの名作とは全く異なり、何もない。ガランとした室内。確かにあの時代、彩られた部屋があるほうがおかしいのかも。ダビデの墓はただの墓石。ユダヤ人にとってはすごいのかもね。

またまたオリーブ山に登る。疲れるのをしっていながらも、毎日登る。でも寒いからすぐ降りた。



アイアンはかわいい。日本人女性だったらみんな惚れてしまうだろう。それにしても、相変わらず彼の言ってることはわからない。アメリカ人の言うことだって良くわからないのに、オーストラリア人の言うことがわかるはずもない。

ディタイルと言われてその意味を少しでも考えると、次の言葉が聞き取れない。あー、ディテイルのことか、とわかったときには何のディテイルなのか言ってしまっている。う〜ん、難しいよ〜。相変わらずナイ、ナイ言ってるし。

これから彼がパスタを作る(俺も作るのか?)。材料は2人で買ったから1人350円ぐらい。日本だったら安いと思うこの値段も、ここだと高いかな、と思ってしまう。

話は戻って午後2時ごろ、一度ホステルに戻ると、同室のカナダ人のおっさんが話しかけてきた。彼は明日トルコに行くんでもう金を替えたくないらしく、1日中ホステルにいる。彼の話に付き合っていると何時間あっても足りないので、俺はリコンファームに行く。戻ってくるとアイアンはいまだに彼の話に付き合っている。目が助けてと言っていたから、助けた。あ〜、おかげでオリーブ山の教会を回り損ねた。おやじ、責任とってくれ。